こちらでは川越の歴史やゆかりの人物などについて紹介していきます。
今回は川越とさつまいもの歴史についてです。
さつまいもは今から400年前にメキシコから中国経由で沖縄に伝わり、それから全国に広まっていきました。
悪天候で粟や稗が育たなくても、さつまいもは丈夫で簡単に作れる作物だったので、昔の人々の常食とまではいかなくても、1日に1食は必ず口にする食べ物でした。売り物のためではなく、どこの農家でも自分達の食べる分だけを作っていたそうです。ところが江戸時代の終わり頃になり、江戸に焼き芋屋さんが現れました。
昔はどこの農家でもさつまいもを作っていたので、余った芋がたくさんあり、その芋を焼き芋屋が農家から買い、焼き芋として売っていました。焼き芋は江戸庶民のスナックとして大人気となり、たちまち焼き芋屋のない町はないほどになったため、農家の余ったさつまいもだけでは足りなくなってしまい、そのため焼き芋屋用のさつまいもの産地が必要になりました。
川越は新河岸川という川が流れており、その川にはいくつも港があったそうです。舟運が発達していた川越は、江戸との交流が深く、地の利があったため、川越周辺でのさつまいもの生産はどんどん発達しました。
ただ作るだけでなく、焼き芋屋のいもとして売り物になるさつまいもは〈色・形・味〉を考えて作られるようになったため、川越のさつまいもはどんどん質が優れていきました。
川越の南に広がる武蔵野台地で採れるさつまいもは「川越いも」と呼ばれ、格上に扱われたそうです。それから昭和30年頃までさつまいもの生産はさかんでしたが、時代の移り変わりとともに、川越で作られるさつまいもは少なくなり、今では埼玉県としてのさつまいもの生産量は全国で11位。 それでも尚、川越=さつまいもとして知られる訳は、川越が観光地として発展したことにあります。
川越には歴史的な建造物がたくさんありますが、観光地として定着したのはここ最近です。平成元年に、テレビで「春日局」が放映されてから、徳川家ゆかりの喜多院や東照宮などがあるこの地は、口コミで全国に広まり観光で来る人が増えました。
観光に訪れると、人はその土地のものを口にしたくなるものです。「いもの街」として昔から有名だった川越は、今となっては生産量はわずかでも、全国の大産地から良質のさつまいもを買い寄せ、料理やお菓子としてさつまいもの加工品を売る「さつまいもの街」となりました。






